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<今週の説教要旨>

7/14 「だからよ」 説教者/川内裕子 牧師

使徒言行録 15章22節~35節

<エルサレムから派遣される>

異邦人キリスト者たちへの割礼問題について、エルサレム教会で議論され、会議は割礼を救いの条件として押し付けることなく、偶像に供えた肉を食べたり、などの祭儀上のタブーを犯さないように、とのみ伝えることを決めました。

その決定をアンティオキア教会をはじめとする異邦人キリスト者のいる教会へ知らせるために、エルサレム教会は、このことを手紙にしたため、指導的立場にいるバルサバと呼ばれるユダとシラス使いに立てて、パウロとバルナバと共に派遣しました。

会議で決められたことは、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンを二分することなく、ユダヤ人も異邦人も共に愛さんにあずかり、教会の交わりを一つにしてゆくことを意味しました。

 

<アンティオキアで>

さて、アンティオキア教会の人々は、この決定をどのように受け取ったでしょうか。エルサレム教会とアンティオキア教会の間には、明確な上下の力関係が存在していると感じます。エルサレム教会は中央の教会として決定権を持っていました。パウロやバルナバたちもだからこそ、判断を求めてエルサレムに上ったのです。30節の手紙の手渡しも、決定を記した手紙を公示するかのようなイメージです。エルサレム教会から使いが下ってきたとき、アンティオキア教会には緊張が走ったと思います。それゆえ彼らが「喜んだ」(31)という言葉には実感がこもります。教会は分裂を回避し、共に礼拝し、交わりを結ぶ道が認められていったのです。

ユダとシラスはしばらくアンティオキア教会で人々と共にすごしました。エルサレムから下ってきて、実際に出会い、手紙だけではなく、直接会話し食事を共にし、一緒に生活する中で、ユダとシラスはアンティオキア教会の人々を知っていきます。それは自分たちが決定したことが、どう実現しているかを、身をもって体験してゆくことであり、違いを越えて交わりとビジョンの共有をすることでした。一緒に食べてみて、過ごしてわかることがあります。証しを分かち合い、どのように主を知ったか、この教会で行われていることはどんなことかを知るのです。アンティオキアの人々が準備した食べ物を食べ、生活するのです。

 

<だからよ>

この交わりが、和解と平和を築いたことが33節に端的に表れています。新共同訳では違う訳ですが、彼らは「平和に」送り出したと書かれています。来週扱いますが、シラスはパウロと共に伝道旅行に出かけるまでになっています。この「平和に」は、実感がこもっています。あなた方の信仰はよくわかったよ、同じイエスさまを見上げているんだね、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンは、何ら変わらない救いに入れられているんだね、ということを実感してユダとシラスはエルサレム教会からの使節の働きを終えるのです。

出会ってゆくことは、このように一歩深い理解へと互いに歩み寄ってゆくことです。教会と、教会の間の喜びでもあります。エルサレム教会から手紙だけでなく、使節を派遣することで、平和が結ばれたのです。

「だからよ」というのは特徴的な鹿児島弁のひとつで、「そうなのよ~」「私の言いたいのは、そういうこと!」というあいづちです。あなたたちも、同じ主を信じているんだね、というユダとシラスの思いに、アンティオキアの人々は「だからよ」との思いだったのではないでしょうか。

 

 

 


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