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<今週の説教要旨>

3/29 「 罪に定める者 」 ヨハネ8章1-13節 川内活也 牧師

四福音書

福音書とはイエスさまの地上での歩みを記した行状記です。新約聖書冒頭には4つの福音書が収録されています。物事は1面からだけではなく多方向から見る事で立体的に確認出来ます。イエスさまの行状記も1面からだけでなく上下左右4方向から見る事で立体的に『キリストによって世に現わされた神の御姿』を知る手引きとなります。キリストを知る事が神を知る唯一の道なのです(ヨハネ1:18)

姦淫の女

福音書の中でも有名な出来事の一つを今日は開きました。『姦淫の罪』の現行犯として捕らえられた女は当時のユダヤ社会の法により裁かれる確定死刑囚です。イスラエルは十戒に基づく律法による社会法下に在りましたので姦淫の罪による罰は石打による死刑と決まっていました。

裁きの道具

律法学者・パリサイ人達はそんな彼女を『公義に従い裁く』ためではなく、イエスさまを裁くための道具として用いる事を画策しました。彼らの内には1片の正義も無かったのです。ただ自分達の肉の思いを満たすために人を裁くことにのみ執着している姿をイエスさまは見抜かれていました。

想定外の展開

この女を死刑にするのは是か非かと問う彼らに対しイエスさまは彼らの、そして群衆の想定していなかった「罪無き者から石を投げよ」との回答を与えます。その言葉の意味を理解した人々は年長者から順にその場を立ち去って行きます。自分自身に義があると誇示する事はあっても「罪無き者である」と誇示する事が出来る人は誰もいないのです。

罪無き者

ただ一人、イエスさまだけが『罪無き神の小羊』として世に降られました。1石を投じる権威はイエスさまだけが持たれているのです。そのイエスさまが「わたしもあなたを罪に定めない」と宣言された事で、引き出されて来た女は命を得ました。

裁きは主のもの

人を裁く主権は「罪無きもの」にしかありません。それは神御自身の主権です。しかしサタンはその主権を侵し『訴える者』として神に敵対しています。そのサタンの『罪の性質』を人は持っているのです。神の主権を侵す者は神に敵対する者なのです。

赦された者として

神の主権を侵す事無く歩むためには、自分が神から与えられた恵みを日々覚えることが大切です。赦された者だからこそ赦す者、愛された者だからこそ愛する者、交わりに加えられた者だからこそ交わりに加える者として歩む事が信仰生活なのです。『主に愛された』自分自身のように隣人を愛するようにと教えられているのです。

 

わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない』詩編103編2節

 

受難節第4主日を迎えイエスさまの十字架を深く思う日々を歩んでいます。死をも賭して神から贖われた者であるという主の愛を覚え、肉の思いに従って神の主権を奪い取り、隣人を裁く神の敵対者となる事無いためにも、神から受けた恵みを日々見上げて歩みましょう。

  

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