帯広バプテスト・キリスト教会 信仰宣言

序 
昭和47年(1972)年6月14日帯広バプテスト・キリスト教会を組織(そしき)するにあたって、次のようにバプテスト教会(きょうかい)としての信仰(しんこう)の立場(たちば)を明らかにし、何人の信仰も制限(せいげん)することなく、証(あかし)と励(はげ)ましとしてこれを宣言(せんげん)いたします。

聖 書 
聖書は聖霊(せいれい)の働きによって書かれたものであり、福音の真理を明らかにしている唯一(ゆいいつ)の書であることを信じます。聖書は主イエスが永遠の神の子キリストであることを証し、神の人類救済(きゅうさい)の聖旨(みむね)を示すものであることを信じます。従って聖書こそ教会と個人の信仰生活にとって唯一の完全な基準(きじゅん)であることを信じます。

神 
聖書が証しする神は、主イエス・キリストにおいて啓示(けいじ)され、全知全能(ぜんちぜんのう)の生ける唯一の神であり、また天地(てんち)創造(そうぞう)の主であって全世界を支配し、父・子・聖霊の三位(さんみ)一体(いったい)の神であることを信じます。

人 間 
すべての人間は神に対して正しく応答(おうとう)すべきものとして神の像(かたち)にかたどって創(つく)られたのであるが、神への不従順(ふじゅうじゅん)によって罪(つみ)に墜(お)ち、永遠の滅(ほろ)びに定められた存在となったことを信じます。

救 い 
すべての人間は、いかなる人間の業によっても救われず、ただイエス・キリストの十字架の贖(あがな)いと、その復活を信じる信仰によってのみ完全な救いと新生を受け、永遠の命に生かされるものであることを信じます。即(すなわ)ち、み子イエス・キリストは父なる神の聖旨に従い、すべての人間の救いのために人となってこの世に下り、苦しみを受け、十字架にかかって罪の贖いとなられました。そして三日目に墓(はか)より甦(よみがえ)り、今でも活(い)きて父なる神の右にいまし、聖霊において私たちと共にいまして守り導きたもう救い主であることを信じます。

悔改(くいあらため)・信仰(しんこう)・新生(しんせい)・聖化(せいか)・選び(えらび) 
すべての人は、救われるためには罪の悔改めと、主イエスを救主として信じる信仰とによって再生しなければなりません。同時に聖霊によって新生の経験をなし、更に完全な聖化にあずかることを信じます。また、神の選びは神の永遠の目的であり、罪人の救い、新生、聖化を通しておこなわれるものであり、その恵は福音を信じることによって確認できることを信じます。
 

教 会 
教会はキリストをかしらとするキリストの体であって、キリストを信じ信仰告白をなしてバプテスマを受けた信徒の告白的な集まりであることを信じます。このゆえに教会はキリストを頭と仰(あおぎ)、福音(ふくいん)を宣教(せんきょう)し、礼典(れいてん)を執行(しっこう)し、愛(あい)の業(わざ)に励(はげ)みつつ主にある聖なる交わり(まじ)を深めていくものであると信じます。

礼典(れいてん) 
教会の礼典はバプテスマと主の晩餐(ばんさん)の二つであります。バプテスマは信仰告白に基づいて父・子・聖霊の名によって行われる水の浸礼(しんれい)であり、この形によって私たちの罪の死と新しき生命(いのち)への復活を象徴し、また、バプテスマが教会の交わりに入るための不可欠の礼典であると信じます。
主の晩餐は、主イエス・キリストの贖罪愛(しょくざいあい)を記念して行う礼典であって、主の再臨を待望して守るものであることを信じます。

主の日 
キリストの復活の出来事に基づいて一週の初めの日、日曜日を主の日と定め、礼典を守り、この日を神に捧(ささ)げて、各自の霊的生活のためにきよく守るべきものであると信じます。

教会と国家 
教会は国家権力や地上のいかなる組織も、また権力の支配から自由であり、それらと明確に分離されるべきであると信じます。教会の主であるキリストはこの世の諸権威(しょけんい)に対しても主であると信じます。私たちの究極の服従は唯一の主なるキリストに対してなされるべきであると信ずるがゆえに、国家に対してもそれが主なるキリストのみ旨に反しない限り良心的に従うべきであります。

終末(しゅうまつ) 
この世はキリストの再臨によって終末のあることを信じます。その時キリストはこの世のすべてを最終的に審き、神の完全なご支配を確立されることを信じます。即ち、罪人は永遠の滅亡に定められ、信仰による義人は復活して栄光の体に変えられ、永遠の生命に生かされること信じます。